原田美枝子さんは1958年12月26日生まれの現在63歳で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞と最優秀助演女優賞の両方を受賞するなど演技力の高い女優として広く知られています。

そんな原田さんのハーフの噂に関する真偽や、目の色について、それからデビュー作の内容についてご紹介します。

 

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原田美枝子はハーフではない!

原田美枝子さんについてハーフではないか、という噂がありますが、実際のところはハーフではありません。

原田さんのお父さんは原田喜代和さんという方で、印刷前の機械に用紙やインクなどの準備をして試刷りや本刷りをするオフセット印刷工と呼ばれる仕事をしていました。

 

 

晩年は食道がんにかかってしまい、長期間にわたって治療を受けましたが、病院で暮らすことが辛いと最後は自宅で暮らし、2014年に家族に見守られながら他界されています。

お母さんは原田ヒサ子さんという方で、20代の時に結婚し、パートの仕事をしながら3人のお子さんの子育てをしました。

2015年に緊急入院した際に認知症にかかっていることが判明し、介護施設に入ることになりましたが、2021年にお亡くなりになっています。

これらの事実から、原田さんはハーフではないことが分かりますし、見た目からも特に外国の血が流れている様子は伺えません。

 

 

ただ、原田さんについて調べようとすると、検索ワードの上位にセットで「ハーフ」という言葉が入っています。

なぜそうなるかというと、原田さんは以前に「愛しのハーフ・ムーン」という小説を執筆しています。

1987年には、この小説が原作となって、滝田洋二郎さんがメガホンを取り、同じタイトルの映画が公開されました。

話しの内容としては、結婚を目前に控え揺れ動く若い女性の心理を、友人男女の青春群像を織り交ぜながら描いていくものです。

お父さんやお母さんがハーフで原田さんがクウォーターだからこのような噂が出た可能性もありますが、そのような情報は確認できませんので、ハーフというワードがついた小説名が原因で噂になった可能性が非常に高いと思われます。

 

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原田美枝子の目の色は普通よりも薄い!

日本人の目の色は黒や焦げ茶色の人がどちらかというと多いですが、目の色素が薄く、茶色だったり、透き通った色だったりということも数は少ないですがあります。

芸能人の中にも色素が薄い目の色の人がいて、大島優子さんや広末涼子さん、夏川結衣さんなどがこれにあたります。

原田さんについても目の色素が普通よりも薄くなっています。

 

 

この特徴的な目を生かして、原田さんは目力がある目になっています。

目力を引き出すポイントとしては、眉とまつ毛です。眉の形は、瞳の上の部分をストレートに太めにすることにより、若々しくなります。まつ毛については、マスカラで放射状にすることによって、目が大きく見えるようになります。

 

 

年齢を感じさせない肌のきれいさもあって、表情がいきいきしています。

メイクが気に入ると、うれしくて口角があがるから、自分が楽しめるメイクをこれからも試していきたい、と原田さんは話しています。いつまでも若々しさを保っている原田さんは、女性の目標といえる存在かもしれません。

 

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原田美枝子のデビュー作について

原田さんのデビュー作品は、1974年に公開された家城巳代治監督の映画「恋は緑の風の中」です。作品の方向性について突拍子なことをしないことで知られる東宝が性をテーマにして描いた極めて珍しい作品となっています。

映画としてはヒットしなかったものの、原田さんはこの作品の中で体当たりな役柄を演じました。

作品内で、一糸まとわぬ姿になったことがその最たるものです。

 

 

ただ、この役を演じたことで、当時通っていた学校から指摘を受けてしまい、学校に居づらくなって、夜間の高校へ転校することになってしまいました。

原田さんは当時のことについて、監督から要求されたものを役として演じていたけれども、周りは私がそんな姿になっていることで興味本位に見てしまう、そんなものに負けてたまるかと思っていたから生意気な態度をとってしまっていた、などと後に話しています。

 

 

デビュー作の2年後に原田さんは、「大地の子守歌」や「青春の殺人者」という話題作に出演し、10代でキネマ旬報主演女優賞などを受賞し、女優として力をつけていくことになります。

その後は、黒澤明監督や山田洋二監督などのいわゆる巨匠と呼ばれるような監督から次々とオファーを受けて、女優として才能が開花していきました。

 

 

3人の子供のうち、1人は自分と同じ女優として道を進んでいます。

子供に対しては、自分がやってみたいと思わないと厳しいことにも耐えられない、とやっていけるのか不安な様子をみせてはいたものの、相談を受けたらできることはする、と子供に対する愛情を垣間見せています。

現在の地位を確立するために多くの苦労を重ね、大変だったことは言うまでもありません。

これからも多くの作品で原田さんの姿を見てみたいものです。