吉行和子さんは1935年生まれの現在86歳です。
1957年の舞台「アンネの日記」で主演としてデビューすると、その後は日本アカデミー賞で優秀主演女優賞を獲得するなど、多くの作品で存在感を放つ女優です。
そんな吉行さんの冨士真奈美さん、岸田今日子さんとの仲良しエピソードについてご紹介します。
吉行和子の仲良しの女優は?
吉行さんと同様、冨士さんと岸田さんについても女優として多くの作品に出演していました。
最近では吉行さんと冨士さんについては、2021年9月まで放送されていたTBSバラエティ「ぴったんこカン・カン」に複数回出演し、バラエティのイメージもついてまわるようになりました。
そんな3人ですが、最初は冨士さんと岸田さんがドラマ「鏡子の家」で共演したことがきっかけで、まず2人が仲良くなりました。
その後、1974年に冨士さんが脚本家として知られる林秀彦さんと結婚し、芸能界を一時的に引退することになりました。
冨士さんが専業主婦となっている間に、吉行さんと岸田さんが舞台で立て続けに共演することになり、仲を深めました。
その関係は仕事だけにとどまらず、海外に一緒に出かけるまでになり、親友といえる存在になりました。
そんな中、1984年に冨士さんが林さんと離婚することになり、そこから3人が仲良くなりました。
岸田さんは、2006年12月に脳腫瘍による呼吸不全によってお亡くなりになりましたが、存命中は3人でよく旅行に行っていました。
ただ常に一緒に行動するというわけではなく、吉行さんはマッサージが大好きなので、海外に行っても夜に一人でマッサージの店を探しに出かけることがよくあり、帰ってこない吉行さんを心配した冨士さんが探しに行くことがよくありました。
岸田さんはヘリコプターでオーストラリアにあるキラウエア火山を遊覧したり、ジープで川を横断したりとかなりのアクティブぶりでしたが、冨士さんはアトラクション系が大の苦手でしたので一緒に行動はしませんでした。
性格も行動も合っているところは無いようにみえますが、あまりに似すぎているといったん鍵のかけ違えが出ると修復することは難しいように思えます。
一定の距離感があったからこそ、ずっと仲良くいられたのかもしれません。
吉行和子と冨士真奈美のエピソードについて
冨士さんは若い頃から俳句に真剣に取り組んでいて、句会に参加をするほどでした。
結婚していったんは離れていましたが、離婚をしてからは再び取り組むようになり、俳句に関する本を出版するほどです。
吉行さんは最初、俳句に全くといっていいほど興味がありませんでしたが、冨士さんと岸田さんが俳句のことについてとても楽しそうに話しをする姿をみて、自分もやってみようと思うようになりました。
ただ、吉行さんは冨士さんとの俳句の熱量の違いを感じていたようで、冨士さんは自分の親が亡くなった時、その悲しみの気持ちを俳句に入れることによって多少なりとも気を紛らわせることができたが、自分は親が亡くなった時に俳句を詠もうという気にはならなかった、俳句への関わり方の違いを感じた、と答えていました。
仲はとてもいいですが、お互いの家を頻繁に訪れることはないそうです。
冨士さんについては家をリフォームした時に1度だけ呼んだそうですが、吉行さんは1度も呼んだことがありません。
その理由として最も大きいのが吉行さんの潔癖症ぶりです。
自宅の中をきれいにするのはとてもいいことですが、汚れるからという理由で台所を全く使わないとか、たくあんを人からもらった時には、ずっと置いておくと家にたくあんの匂いが充満するからとすぐに一本丸かじりしたとか、やり過ぎなところが吉行さんにはありました。
冨士さんは吉行さんとお付き合いするのは本当に大変なんです、と答えると、吉行さんもよくがんばって付き合ってくれている、と答えています。
ただ、バラエティで頻繁に共演するお二人の姿をみると、本当に仲がいいんだなと感じることができます。
吉行和子と岸田今日子のエピソードについて
吉行さん、冨士さん、岸田さん3人で自由気ままに旅をする番組が以前テレビ東京で放送されていました。
放送されるきっかけが、吉行さんと岸田さんがスペインのマドリードに行こうよ、と話したことでした。
冨士さんは極度の飛行機嫌いで頑なに拒否をしていましたが、吉行さんはこれだけ生きたんだからいいじゃないと言い、岸田さんは旅行計画を楽しそうに考える状態でしたので、冨士さんは1年後に行きましょう、と折れてしまいました。
1年後だから忘れているだろうと思っていた冨士さんですが、2人は計画をさらに進め、冨士さんは1年後に飛行機に乗ることになりました。
ただ、冨士さんはスペイン旅行を存分に楽しみ、それが番組化につながりました。
番組でハワイを訪れた際には、村の首長に岸田さんが、この3人の中だったら誰がいい?と聞き、冨士さんと首長は答えました。
それを見ていた吉行さんと岸田さんは、どうぞ差し上げます、とけらけらと笑っていたそうです。
岸田さんがお亡くなりになって3人そろっての姿を見ることができないのは残念ですが、80歳を超えても若々しい姿をみせてほしいものです。