鈴木京香さんといえば、多くのドラマや映画、舞台などに出演し、昨年の朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」ではヒロインの母親役を演じ、存在感を示しました。

そんな鈴木さんの出身地や高校時代のエピソード、親について紹介します。

 

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鈴木京香の出身地は宮城県!

鈴木京香さんの出身地は、生まれた当時は宮城県泉市と呼ばれていましたが、現在の宮城県仙台市です。

しばらくしてから現在の宮城県富谷市に引っ越し、そこで成長していきました。

1968年5月31日に生まれ、お名前は本名です。

名前には、京都のような古風で優雅な女性になってほしいという願いが込められています。

 

 

その願いどおり、鈴木さんは3歳の頃から日本舞踊を習い始めました。

お母さんの仕事が着物の着付け講師と日本舞踊の先生をしていた影響で始め、中学生まで習っていました。

そんな女の子らしい一面があった一方で、男の子らしいやんちゃな一面もありました。

お兄さんと大きな落とし穴を作ってお父さんを落とそうと試みたり、近所にあった高い木に登ったりするなどしていました。

落とし穴はすぐに気づかれてしまい、計画は失敗に終わりました。

 

 

また、小さな頃から運動が大の得意で、運動会では大活躍だったそうです。

中学生の頃には、その運動神経の良さを生かして陸上部に入部し、100m走と砲丸投げ、走り高跳びを組み合わせた3種A競技というものに主に取り組みました。

特に走ることが一番得意で、同学年でナンバー1といっていいぐらい足が速かったそうです。

それから走ることと同じくらい英語が得意で、この当時の夢は翻訳家でした。

 

 

このように小さな頃、女の子らしい部分はあったものの、男勝りな部分が多かったようです。

宮城県で生まれ育った鈴木さんですが、最初に紹介した朝の連ドラの舞台が宮城県の気仙沼市や登米市でしたので、まさに打ってつけのキャストだったといえるでしょう。

 

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鈴木京香の高校時代

鈴木さんは、高校は地元宮城県の泉高校に進学しました。

中学までの陸上の実績があったため、陸上部から熱心な誘いを受けましたが、美術部に在籍することになりました。

陸上だけではなく、美術の分野でも才能をみせ、コンテストで入賞することができる作品を製作するまでになりました。

ただ、その入賞した作品がなぜか逆さにかけられて展示されてしまう、というエピソードがありました。

 

 

中学までと変わらず、高校も熱心に部活動に打ち込んでいましたが、高校2年生の時にスカウトをされて、地元の着物学校のモデルを最初はしていました。

高校を卒業した後は、地元宮城県の東北学院大学経済学部に入学しました。

在学中の20歳の時にカネボウ水着キャンペーンガールに選ばれ、それがきっかけで芸能活動を本格的に始めるようになりました。

現在の活躍の原点は高校時代にあったといえるでしょう。

 

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鈴木京香の親はどんな人?

鈴木さんのお父さんは宮城県で建設業を営んでいましたが、2002年7月に肺がんによって65歳の若さで亡くなっています。

お父さんは何でも楽しく話すことが大好きで、先頭に立って何事もやっていました。

絵を描くことが大好きで、その影響もあって鈴木さんも美術部に在籍したのでしょう。

 

 

そんなお父さんの変わったエピソードは2020年の4月にテレビ東京で放送された「ありえへん∞世界」で紹介されていました。

ある日、お母さんの絵を描いていたところ、服は着ていたはずなのに、出来上がった絵には服がなく、ヌードになっていました。

それを見たお母さんは当然怒り、タートルネックを着たように書き足して、物置の人目のつかないところにしまったそうです。

 

 

また、小学校で行った人形劇の人形の顔を許可なく描いたこともありました。

それはゴルゴ13の顔で、劇の内容には全く関係ないものでした。気づいた時にはもう一度人形を作り直すような時間もなく、そのままの格好で劇に出たそうです。

鈴木さんは穴があったら入りたいほどショックだった、と当時のことをいまだに鮮明に覚えていました。

 

 

楽しい性格のお父さんですが、鈴木さんが芸能界に入ることを最初は反対していました。

この性格からいって好きなことをやれ、と言いそうですがそうではありませんでした。

しかし、1989年に女優デビューしてから2年後のNHK朝の連続テレビ小説「君の名は」でヒロインに抜擢されてからは、芸能活動を応援してくれるようになりました。

NHKのドラマ関係者が実家を訪問した時に、お父さんが一番張り切って対応したそうです。

それ以来、実家で気兼ねなく仕事の話しをできるようになり、実家に帰った時には色紙を大量に用意して待ってくれるようになりました。

 

 

そんなお父さんとお母さんに、鈴木さんは27歳の時にレンガ造りの洋風戸建てをプレゼントしました。

お父さんが亡くなられてからはお母さんが一人で住んでいましたが、2016年に東京に呼んで、2019年には取り壊しました。

お母さんは現在事務所の取締役をやっています。

鈴木さんは50代になってもその美しさが変わることはありませんが、お母さん譲りなのでしょう。

お父さんは亡くなってしまいましたが、エピソードから家族間の強い絆を感じることができます。

家族の強い後押しを受けて、鈴木さんのさらなる活躍を期待したいです。