長年ブレンディのCMでお馴染みの原田知世さん。
1982年に「角川・東映大型女優一般募集」のオーディションで特別賞を受賞し、15歳で映画、「時をかける少女」で主演デビューし大ブレイクしました。
以降「セーラー服と機関銃」など様々な有名作品に出演し、「私をスキーに連れてって」では一大スキーブームを巻き起こした清純派女優の1人です。
今年で54歳の原田知世さん。50代とは思えない年齢を重ねても若く透明感のある美貌は、どの世代の人も魅了しています。
そんな原田知世さん、どのような家族構成なのでしょうか?
父親や母親について、詳しくご紹介します。
原田知世の家族構成は?
原田知世さんは父親、母親、兄1人と姉2人そして知世さんの6人家族です。
賑やかな大家族ですよね。
そしてお兄さんとは14歳、上のお姉さんとは10歳、2番目のお姉さんとは2歳離れています。原田さんは末っ子のようです。
お父さんは会社経営や俳人として活動されていたり、2番目のお姉さんは原田さんと同じく女優をとして活動されているそうです。
そんな家族とはどのような関係なのでしょうか。
原田知世の父親は会社経営で俳人?
原田知世さんは長崎県の長崎市で育ちました。
実家は長崎市の岩屋町周辺にあったようですね。
原田さんのお父さんはそこで建築会社の経営者をされていたそうです。
お父さんの名前は原田聰さんといい、建設会社の社長の傍ら原田佐斗志という名前で俳人としても活動されていました。
原田さんはお父さんについて、インタビューで「俳句がまさにそうですけど、短く表現された言葉が受け止める人によって、ふわーっと膨らんだりしますよね。
(いっしょに)旅行に行ったりしたときに言葉の意味や使い方を教えてもらったり、父は一番の相談相手です。」と語っています。
俳人のお父さんから言葉の使い方を教えてもらえるなんて素敵ですよね。
歌詞を制作する時もお父さんに相談したりしていたのでしょうか。
そんなお父さんは4年程前に90歳で他界しています。
最愛のお父さんが他界されてしまいましたが、生前はいつも原田さんの活躍を応援してくれる素敵なお父さんだったのでしょうね。
原田知世の母親は事務所社長?
原田さんのお母さんは知世さんが芸能活動を始めたと同時に一緒に上京し、知世さん、姉・貴和子さんと3人で東京での生活を始めました。
原田さんは14歳で芸能界入りし、中学卒業と同時に東京へ上京しているので、芸能界入って間もない頃から側でずっとサポートしてくれていたようですね。
ちなみに、お父さんは長崎県の地元に住んでいました。
現在は、原田知世さんと女優で姉の喜和子さんが所属している事務所「ショーン・ハラダ」で社長を務めているそうです。
長年、知世さんを一番近くでサポートしているようですね。
原田知世の兄弟は4人で女優をしている?
原田知世さんは4人兄弟の末っ子です。
一番上は14歳上の兄、10歳上と2歳上の姉がいます。
上2人とは10歳以上離れているのでなかなか歳が離れていますよね。
お兄さんと1番上のお姉さんは一般人なので詳しい情報を見つけることができませんでしたが、1番上のお兄さんはお父さんが亡くなる数年前にすでに亡くなられていたそうです。
女性自身でのインタビューでは、お父さんは生前「(長男が亡くなったのは)とても寂しいですが、娘たちが東京で、それぞれ頑張ってくれているのが、私の励みになっているんです…」と語っていました。
そして、原田さんの2歳上のお姉さんは女優として活動している原田喜和子さんです。
貴和子さんは1986年に「アフガニスタン地獄の日々」でデビューを果たしていますが、残念ながらお蔵入りとなってしまい、角川映画「彼のオートバイ、彼女の島」でスクリーンデビューしています。
大阪映画祭では、主演女優賞、ヨコハマ映画祭で最優秀新人賞を受賞されている高い演技力のある女優さんです。
その高い演技力で様々な作品に出演しています。
また、妹・知世さんとは「私をスキーに連れてって」で共演を果たしています。
2001年に一般人の男性と結婚し芸能界から退いていたそうですが、離婚後に復帰し活動を再開していたようです。
現在はメディアの露出が減ってしまっていますが、知世さんと貴和子さんの所属事務所でもあり、お母さんが社長を務めている個人事務所で業務をしたり、知世さんのサポートに回っているそうです。
お姉さんの貴和子さんも、妹の知世さんに似て透明感があって美しい顔立ちをしています。
いくつになっても若々しく綺麗な美人姉妹ですよね。