仲里依紗さんといえば、様々な役柄をこなす女優としての活躍はもちろんのこと、ファッションモデルやYouTuberとしても活躍していて、多才なことで知られています。

そんな仲さんの生い立ちや実家について、詳しく紹介していきたいと思います。

 

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仲里依紗の生い立ちについて

仲さんは、長崎県にある東彼杵町というところで生まれました。

この町は、長崎県にある町で2番目に人口が少なく、大自然に囲まれている田舎町です。

この町は、町内にイノシシがよく出没するらしく、捕獲するために至るところにイノシシの罠が仕掛けられていました。

そのために、外出する時は車に気をつけて、と普通はよく言われますが、この町ではイノシシの罠に気をつけて、と言われるぐらいの田舎町です。

 

 

小学校は東彼杵町立彼杵小学校に通いました。

浜崎あゆみさんのことが大好きで、当時は仲さんにとって神様のような存在だったと話しています。

将来はコギャルになりたいと思っていて、SHIBUYA109の店員になりたかったようです。

 

 

その当時の思いからか、自身のYouTubeチャンネルでコギャルメイクを披露しています。

芸能界に入るきっかけとなったのが、この小学校時代でした。少女漫画雑誌「ちゃお」に連載されているキャラクターに似ている女の子を探すためのオーディションが開催され、仲さんの3歳年下の妹さんが仲さんに無断で写真を送りました。

結果的にこのオーディションで特別賞を受賞したことで、芸能界に入ることができました。この出来事が小学校6年生の時です。

 

 

中学校は東彼杵町立彼杵中学校に通いました。

中学校は、バスケットボール部に入部し、部活動に打ち込む一方で、芸能活動もあわせて行っていました。

この当時はまだ女優としての活動は行っておらず、ローティーン向けのファッション誌「CANDy」でのモデルとしての活動が中心でした。この頃は、まだ仕事があるたびに地元から上京するという、かなりハードな生活をしていました。

 

 

高校生になると、仲さんは芸能活動に力を入れたいということで、地元を離れ、後に有名人となる人を多数輩出している日出高校に通うことになりました。

同級生には玉森裕太さんや南明奈さん、夏菜さんなどがいます。この頃芸能活動はしていたものの、まだ十分に稼ぐことができていなかった仲さんは、ビッグスクーターが欲しかったために、事務所には内緒で日雇いのアルバイトを行っていました。

通信販売の商品の発送業務などをしてお金を貯めたそうです。

高校2年生の時に、映画「アイランドタイムズ」で女優としてデビューを飾り、活動の範囲を広げていくことになります。

 

 

高校卒業後は仕事がたくさん入って、学業どころではなくなってしまい、大学には進学せず芸能活動に専念することになりました。

2008年には映画「純喫茶磯部」で主演キャストに選ばれ、この映画でヨコハマ映画祭や毎日映画コンクールなどの新人賞を受賞し、女優としての地位を次第に固めていくことになります。

 

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仲里依紗の実家はお金持ち?

仲さんのお父さんはスウェーデンの血が入ったハーフですが、とてもおもしろい人で、地元では大人気の人です。

見た目は外国人ですが、根っからの九州男児で、仲さんに会うために東京に出向き、食事をする時にはお店の中で大きな声で長崎弁を話すことがよくあるそうです。

仲さんはそれを聞いて恥ずかしい思いをすることがよくありますが、仲さんとは今でも大の仲良しです。

 

 

お父さんはアメカジセレクトショップ「TACK」を経営していて、地元の東彼杵町と大村市古賀島町の2か所に店舗を構えていて、町の人に親しまれています。

1988年から経営していて、おしゃれな雑貨や服、アクセサリー、小物など様々なジャンルの商品を販売していて、店舗だけではなく、ネットでの販売も好調なようです。

田舎町の中にあるので、余計に店構えが目立っています。

 

 

「TACK」の向かい側には仲さんの祖父母が経営するブティック「ニュートーエイ」があり、こちらは年中無休で、開店して50年以上になる老舗です。

このお店には、仲さんのポスターが至るところに貼られており、仲さんのことを大好きなファンがそれを見るためにわざわざ訪れることもあるそうです。

 

 

仲さんの実家がお金持ちと言われることがありますが、その理由としてはお父さんが高級バイクとして広く知られるハーレーを数台保有しているからです。

また、仲さんは幼少期から妹さんとともに日本舞踊を習っていました。日本舞踊を習うには、非常に多額のお金がかかると言われています。

 

 

仲さんは家族の影響でファッションが大好きになり、自身のブランドまで立ち上げることになりました。

SHIBUYA109の店員になることはできませんでしたが、小さな頃から持っていた夢を叶えることができました。

両親の取引先の工場を紹介してもらうなどブランドの発展に抜かりはないようです。

女優としての活躍はもちろんですが、多方面でのさらなる活躍を期待したいところです。