日本を代表する女優さんの一人、八千草薫さん。
歳を重ねてもとても可愛らしく、まるで少女のような女優さんでした。
そんな八千草薫さんは結婚していたのか?子供は?そのあたりの辺についてまとめました。
八千草薫は結婚相手は?略奪愛だった?
そんな八千草薫さんは1957年7月、映画監督の谷口千吉さんと結婚しました。
谷口千吉さんは趣味の登山を活かした映画「銀嶺の果て」という娯楽映画が高く評価されている映画監督です。
「乱菊物語」という谷口さんが監督を務めた映画の主演を八千草薫さんが務めたことがきっかけで知り合ったそうです。
厳しく演技指導をする監督に作品への愛を感じ、少しづつ惹かれていったのだとか。
しかし、その当時、監督は若山セツ子さんという女優さんと結婚していました。
ところが「乱菊物語」を撮り終えるとすぐに、この若山さんとは離婚します。
そして、それからすぐに八千草薫さんとの交際が始まったのです。
離婚前から交際してたのかな、と世間が想像して話題になってしまうのも無理はありませんよね。
それだけではないんです。
なんと、監督、若山さんと結婚する前にも水木洋子さんという人気脚本家と結婚されていたんです。
バツ2ですね。
水木さんとの離婚の原因も女性問題とのことなので、女性関係に問題あり、の方なのかもしれませんね…
そんな人ですから、八千草薫さんのお母さんも猛反対しますが、反対を押し切って結婚。
不安視されていたお二人の結婚生活ですが、まわりの心配をよそにおしどり夫婦として、とっても仲良く過ごされていた、ということです。
八千草薫に子供はいる?
谷口監督とはとても仲の良い夫婦でしたが、子宝には恵まれませんでした。
監督はマラリアにかかったことがあったそうで、それが原因で子供ができにくかったそうです。
子供はいませんでしたが、犬やメダカを2人で育てたり、一緒に登山をしたりと、夫婦水入らずの時間を大切に過ごされていたようです。
お子さんがいなかったので、八千草さんは山口監督が亡くなってからは一人暮らしをされています。
歳を取ってからは高齢者施設への入居も考えていたんだとか。
結局、八千草薫さんの人見知りの性格のため、最後入院するまではお手伝いさんや周りの人の手を借り、自宅で過ごしていた、ということです。
八千草薫の宝塚時代はみんなの憧れの娘役だった
八千草薫さんは高校在学時、新聞の「宝塚音楽学校生徒募集」の広告を見て受験しています。
「宝塚、音楽といった文字にそれまでと違う、キラキラとした輝きを感じた」という八千草薫さん。
当時、終戦して間もない時代でしたから、きっとより輝いて見えたことでしょう。
47年に入団し、宝塚入団当初は「ぶんぶく茶釜」のタヌキの役だったという八千草薫さん。
それからしばらくは三枚目の役柄が続きました。
入団してしばらく経ってから、「源氏物語」で若紫を演じ、その可憐な容姿と演技力が評判となり、トップスターにのぼり詰めました。
そして、宝塚歌劇団内に設立された「映画専科」に所属し、映画に出演するようになるとたちまち人気になり、「お嫁さんにしたい有名人ランキング」で1位に君臨しつづけます。
当時の写真でも、まるでお人形さんのようなルックスで1位を取り続けたのも納得の容姿です。
当時、「まるで生活臭を感じない」と言われていたそうです。
宝塚のスターはみなさん、異次元の存在のようで生活感の感じられる方のほうが珍しいですが、その中でもとりわけお姫様のような、そんな存在だったのでしょうね。
一般の方が思う、お姫様、娘役、そのイメージそのままが八千草薫さんなのでしょう。
「娘役を体現したようなスターだった」と宝塚歌劇団の理事長さんもコメントしています。
また、宝塚歌劇団創立100周年を記念して設立された「宝塚歌劇団の殿堂」には、大地真央さん、浜木綿子さん、朝丘雪路さんなどと共に、最初の100人のうちの一人として殿堂入りを果たしています。