石原慎太郎さんは、「太陽の季節」という作品で日本文学界に大きな影響を与えただけではなく、東京都知事や政治家としても長年に渡り活躍されました。
石原慎太郎さんと息子たちは有名人でよくメディアに登場していますが、石原慎太郎さん自身の父親や母親、兄弟はどんな人たちだったのでしょうか?
石原慎太郎の家族構成は?
石原慎太郎さんは多彩な存在として知られていますが、石原さんの家族もまた個性的でした。
石原慎太郎さんは堅実な父親の潔さんと、温厚な母親の光子さんの元に生まれました。
両親と弟の4人家族で暮らしていました。
石原さんは兵庫県神戸市で生まれ、その後北海道小樽市に引っ越し幼少期を過ごします。
小樽市緑町にあった2階建ての洋館で、石原慎太郎さんは5歳~11歳までを過ごしました。
父親に連れられて、よく小樽近郊の海岸を訪れていたそうです。
弟の裕次郎さんは誰もが知る昭和の大スターで、石原さんと共に石原家の名を世に知らしめました。
石原慎太郎の父親は仕事人間?
石原慎太郎さんの人生を語るとき、父親である石原潔さんの存在を抜きにすることはできません。
石原さんの父親は警察官だった父親を早くに亡くし、なんと14歳から海運会社である山下汽船で働き始めたそうです。
とても仕事熱心で、周りの社員からの信頼も厚かったため、後に会社の重役に就任しました。
責任感の強い性格であり、家庭においても厳しい父親として知られていましたが、石原さんはそんな父親をとても慕っていたようで、後に石原さんが出版した書籍「父のしおり」には、幼少期から父親と過ごした様々な思い出が写真と共に紹介されていました。
厳しさの中にも家族思いの一面のあった父親は、石原さんたち兄弟にとっては礎のような存在だったのでしょう。
年中仕事や取引先の接待で働き詰めだった父親は、脳溢血になり51歳の若さでこの世を去りました。
石原さんたち兄弟はこの時まだ10代だったため、母親一人で育てるのは経済的に困難だったのではないかといわれています。
接待で毎日のように酒を飲んでいたのが原因ではないかという説もありますが、石原さんは父親を恨むことはありませんでした。
その理由は石原さんの実家はもともと武士の残党だったことから「明日の戦、我が身無念と心得べし」という家訓がありました。
いつでも死を覚悟せよという意味だそうです。
このことから石原さんは父親が亡くなったとき、その生きざまを誇りに思っていたようです。
厳しさと家族を守ろうとする責任感を兼ね備えていた父親は、石原さんの人生観や作品の世界にも少なからず影響を与えたことでしょう。
石原慎太郎の母親の職業は?
石原慎太郎さんの母親の職業についての情報はなく、おそらく専業主婦であったのではないかといわれています。
母親の光子さんは厳格な父親とは正反対の性格で、いつも温かく石原さんたちを見守っていたようです。
石原さんにとっては母親と父親の性格の対比が、絶妙なバランスを形づくっていたのでしょう。
後に母親は「おばあちゃんの教育論」という書籍を出版しています。
今まで母親は表に出ることがなかったため、この本が世に出たときは世間で大きな話題となりました。
本の内容は石原さんの母親自身が体験してきた子育てのエピソードをもとに、「何を大切にして子どもを育てていくか」という視点で語られています。
母親視点の温かさとリアリズムが調和した内容で、石原さんたち兄弟の子育ての記録を直接知ることができる貴重なものでした。
今では絶版となりましたが、石原さんのご逝去に伴い、「我が息子、慎太郎と裕次郎」と改題され復刊しました。
父親亡き後の生活は決して楽なものではなかったと思われますが、母親の包容力のおかげで石原家は飛躍したといっても過言ではないのでしょう。
石原慎太郎の弟は昭和の大スター!
石原慎太郎さんの弟は、誰もが知る昭和の大スターである石原裕次郎さんです。
石原さんは真面目で理知的な性格だったのに対し、弟の裕次郎さんは自由奔放な性格で正反対の性格でしたが、その違いこそが互いを引き立てる関係になりました。
裕次郎さんは慶應義塾大学法学部に進学しますが勉学には励まず、その頃から俳優を目指しオーディションなどを受けていたようです。
しかし結果は全滅でなかなか思うようにはいきませんでしたが、転機が訪れます。
それは石原さんが書いた小説「太陽の季節」が映画化したことで、俳優としてスクリーンデビューを果たしたことがきっかけでした。
石原さんの文学が裕次郎さんを銀幕へ導き、そこから華々しく昭和の大スターへと大躍進しました。
石原さんが裕次郎さんの才能を開花させたのです。
しかし裕次郎さんの活躍を近くで見ていた石原さんにとっても、その影響力は今後の視野を広げる要素になったのだと思います。
兄弟の絆は強く、裕次郎さんが病で亡くなる直前まで、石原さんは息子と共に懸命にお見舞いに通ったそうです。
文学・政治・芸能界と異なるフィールドで活躍した二人ですが、その関係性は生涯ただの家族以上の深い絆で結ばれていたことでしょう。
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