現在、女優としてバラエティー番組やテレビドラマで活躍している紫吹淳さん。
以前は宝塚のタカラジェンヌとして活躍していました。
現在は女性らしい容姿ですが、当時は男役でした。
紫吹淳さんの宝塚時代はどんな感じだったのでしょうか?
今回は、紫吹淳さんの宝塚時代について調べてみました。
紫吹淳のプロフィール
名前:紫吹淳(しぶきじゅん)
本名:棚澤理佳(たなざわりか)
生年月日:1968年11月19日
出身地:群馬県邑楽郡大泉町
身長:170cm
血液型:B型
職業:女優
所属事務所:オスカープロモーション
幼少期、身体が弱かった、紫吹淳さん。
特に、足腰が弱く両親の勧めにより、「足腰を鍛え強くなるように」と、3歳の頃からバレエ教室に通い始めました。
このバレエ教室に通ったことをきっかけに、紫吹淳さんは宝塚歌劇団で活躍することとなり、宝塚歌劇団を退団後の現在は女優として活躍しています。
女優として活躍をしている紫吹淳さんの、演技力はとても素晴らしいと話題になるほどです。
紫吹淳の宝塚時代は?
紫吹淳さんは1984年、幼少期から習っていたバレエ教室の先生に、宝塚歌劇団に入ることを勧められ、宝塚音楽学校を受験することになりました。
紫吹淳さんは見事1発で宝塚音楽学校の受験に合格をし、1986年宝塚歌劇団に入団しました。
入団時の成績は24番だったそうです。
同期のタカラジェンヌは、紫吹淳さんと同じく現在女優として活躍をしている香寿たつきさんや、真織由季さん、歌手として活躍をしている中条まりさんなどがいます。
また、宝塚歌劇団の特定の組に所属しない団員の集まりである専科として現役で活躍している、五峰亜季さんも紫吹淳さんと同期です。
1986年、「レビュー交響楽」という星組の舞台が紫吹淳さんの初舞台です。
初舞台を踏んだ紫吹淳さんは、花組に所属することになりました。
花組に配属されてからは、ダンサーとして活躍します。
この時、花組は紫吹淳さんをはじめ、強豪揃いと言われていました。
花組に所属していた紫吹淳さんは1996年、星組に移籍をし「2人だけが悪/パッションブルー」という舞台や「ドリアン・グレイの肖像」という舞台で活躍をした後、1999年月組に移籍。
翌年2000年には、専科に移籍しています。
専科でも活躍をしていた紫吹淳さんですが2001年には再び、星組に戻ることになりました。
紫吹淳さんは、宝塚歌劇団に入団後、組の移籍が多いように感じますが、どの組でも大変目立つ存在で活躍していたようです。
2001年に星組に戻ってからは、長年に渡り月組のトップスターとして活躍をしていた真琴つばささんの後を継ぎ、紫吹淳さんは、月組のトップスターとなり2003年まで活躍をし退団をしました。
紫吹淳は男役として活躍?
入団後、強豪揃いの花組に所属していた紫吹淳さん。
紫吹淳さんは、花組の男役として活躍をしていました。
紫吹淳さんは、1989年ニューヨークでの海外公演で活躍が目立つようになり、1992年「スパルカタス」という舞台で紫吹淳さんは、初主演を踏みました。
1994年、ロンドンで開催された海外公演でも紫吹淳さんは、活躍をし男役スターとしての知名度を高めることとなります。
紫吹淳さんは、いろいろな組に移籍を繰り返しますが、1997年当時月組のトップスターであった真琴つばささんの次の2番手として月組で活躍を見せるようになります。
紫吹淳さんは、若いころから演技力を高く評価されていて、海外公演などにも多数出演していました。
紫吹淳さんの男役は、かなり凛々しい姿でファンを魅了し、どの組に所属している時でもファンの心を離さなかったといいます。
2001年、トップスターであった真琴つばささんの後を継ぎ、紫吹淳さんは、月組のトップスターと昇りつめ、大活躍をします。
その後、2003年「薔薇の封印」という舞台を最後の舞台と決め、見事に演じ紫吹淳さんは退団することになりました。
紫吹淳さんが宝塚歌劇団を退団するということで、紫吹淳さんのファンからは落胆の声も退団当時には聞こえてきたそうですが、現在も紫吹淳さんは女優として活躍をされているので、テレビなどで紫吹淳さんの姿を見ることができる機会があるのは、紫吹淳さんのファンにとっては、うれしいことだと思います。
これからも女優としての紫吹淳さんの活躍が楽しみです。