板倉滉選手といえば、サッカーワールドカップカタール大会の日本代表に選ばれ、安定した守備で日本代表の勝利に大きく貢献しました。そんな板倉選手の家族構成や高校時代のこと、結婚の有無についてご紹介します。
板倉滉の家族構成について
板倉選手の家族構成は、父、母、妹の4人家族です。
妹さんについては、お名前など詳しいことは何も分かっていません。
お父さんについては、板倉選手との幼少時のエピソードが明らかになっています。
お父さんは、高校の時に野球の中心とも言えるピッチャーをやっていました。
そんなこともあり、自身に男の子が誕生したのがよっぽどうれしかったのか、板倉選手が3歳の時にグローブを、4歳の時にバットをプレゼントします。
自分と同じように野球をやってほしかったお父さんは、よくキャッチボールをしたり、バッティングセンターに出かけてバッティングを教えたりしました。
これだけならお父さんと息子のよくある遊びのうちに入ると思いますが、お父さんはそれだけではなく、一流選手のプレーを見せようとしました。
板倉選手の幼少期は、ちょうど横浜高校のエースで甲子園優勝を果たす松坂大輔投手が活躍している時期であり、お父さんは松坂投手のピッチングを見せようと甲子園に連れていくほどでした。
将来プロサッカー選手になれるだけあって、幼少期から運動神経の良かった板倉選手は、ピッチングなどを器用にこなしていました。
その姿に喜んでいたお父さんでしたが、小学校1年生のサッカー大会で活躍したことがきっかけで、サッカーをやりたいと板倉選手から言われてしまいます。
内心はがっかりしたでしょうが、サッカーをする息子さんを応援するようになりました。
お母さんについては、学生の時にバレーボールをして、高い跳躍力を武器に活躍したそうです。
現在センターバックとして高いジャンプをとりわけ必要としますので、お母さんの多大なる影響があることは間違いありません。
また、板倉選手は川崎フロンターレの下部組織に入団しますが、そのきっかけとなったのがお母さんでした。
たまたまネット検索をして募集しているのを見つけたお母さんは、締め切り間近だったこともあり急いで書類を作り、提出したそうです。
この行動がなければ、現在の板倉選手の活躍はなかったかもしれません。
板倉滉の高校時代について
板倉選手の出身高校は、1974年に開校した県立校の川崎北高校です。
部活動に熱心な学校でしたが、板倉選手は学校の部活動には参加せず、川崎フロンターレのユースでサッカーを続けていきます。
中学生の時に身体が急激に成長した影響で、自分の思った通りに身体を動かすことができず、高校時代の最初の方は低調なパフォーマンスに終始してしまいます。
ただ、試合には使ってもらえていたため、次第に調子をつかんでいきました。
最初は現在と同様にディフェンダーとしての起用が続きましたが、高校2年生になると中盤のポジションでも起用されるようになります。
サッカー選手としてのプレーの幅が広がった一方で、大事な試合で自分のミスから失点を喫して、試合に負けてしまいます。
後になって今までしてきた試合の中で一番悔しかった試合であることを明かしています。
この出来事がきっかけとなり、大きく成長した板倉選手は、高校3年生になると川崎フロンターレのトップチームの練習に参加できるまでになりました。
高校卒業後は大学には進学せず、トップチームへの昇格が決まりました。
板倉滉は結婚してる?
板倉選手は高身長でイケメンですので、いいお相手がいてもいいはずですが、現在のところ結婚をしていませんし、彼女もいないようです。
日本代表の常連となり、現在は海外リーグで活躍しているところからも、恋愛に対して時間を割いている余裕がないのかもしれません。
板倉選手の好きな女性のタイプは、有村架純さんや石原さとみさんのような優しくて大人で笑顔がかわいい女性、と答えています。
これだけを聞くと理想がとても高いように見受けられますが、その一方で結局はフィーリングが合う人、と答えています。
自分との相性を最も大切にしているようで、好感のもてる答えといえます。
また、結婚の決め手について聞かれた際に、まだ結婚を考えたことがない、と答えています。
まだ25歳という年齢もあり、結婚することを前提に誰かと付き合いたい、とは思っていないようです。
結婚するのはまだまだ先になるかもしれません。
川崎フロンターレのトップチームへ入団した当初は出場機会に恵まれませんでしたが、ベガルタ仙台へレンタル移籍するとレギュラーに定着し、その才能が開花しました。
その後は海外のチームへ移籍し、今回のワールドカップではレギュラーを務め、大活躍をしました。
板倉選手の今後のさらなる活躍から目が離せません。