伊東純也選手といえば、先日行われたサッカーワールドカップで得点こそ奪えなかったものの、献身的な守備と快速ドリブルで日本代表の勝利に大きく貢献しました。

そんな伊東選手の実家や学生時代のエピソードについてご紹介します。

 

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伊東純也の実家は?

伊東選手の実家は神奈川県の横須賀市にあり、家族構成は父、母、弟2人の5人家族です。3人兄弟の長男として幼少期を過ごし、サッカーを小学校1年生の頃から始めました。

サッカーを始めたきっかけは、同じ団地に住む4歳年上の幼なじみがサッカーチームに入団していたことでした。

そのチームは地元に密着していて、初心者から経験者まで誰でも入ることができるチームでした。

同級生も次々とサッカーを始めたことも影響して、自分もやってみたいと思い、横須賀鴨居サッカークラブに入団しました。

 

 

そのサッカークラブでお父さんの利也さんは、伊東選手の入団と同時にコーチとして活動を開始しました。

お父さんは高校時代、伊東選手と同じポジションのウイングとして活躍していました。

このポジションは、ボールが自分のところに無かったとしても、走ることを怠ってはいけないところですが、伊東選手は試合中自分のところにボールがこないと、ただ突っ立っていることもあったそうです。

ボールがくればしっかり役割を果たしていましたが、それを見ていたお父さんはしっかり注意をしました。

家ではあまり会話はしなかったが、サッカーのことになると怖かった、と後に話しています。

 

 

お母さんの由香さんもスポーツに精通していて、伊東選手が所属するサッカーチームの練習場所の隣でソフトボールをしていました。

スポーツ一家で、伊東選手がサッカーに取り組む環境がありました。

食事面においても、嫌いな野菜を細かく切って食べさせるなど、スポーツ選手として大事な栄養面でのフォローもしっかりありました。

 

 

2歳年下の賢吾さんと6歳年下の幸輝さんとはけんかをしたことがないほど仲良しだったそうで、家の廊下で1対1のサッカー対決が始まるのが恒例でした。

天井や壁にボールが当たって、壁紙が剥がれることもしょっちゅうでした。

この遊びが、現在の伊東選手の活躍を支える基礎になっているのでしょう。

 

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伊東純也の高校時代のエピソードについて

伊東選手は、高校に進学する際に、自宅から通うことができるという理由で逗葉高校を選びました。

日本代表で活躍する選手の場合ですと、Jリーグのユースチームに入団することが多いですが、伊東選手の場合は高校のサッカー部に在籍して技術の向上に努めました。

 

 

この高校は弱小校ではありませんでしたが、全国のトップレベルのところで試合をできるチームではありませんでした。

また、伊東選手自身はドリブルという武器はあったものの、体格的に恵まれているわけではなく、中学校にいた時は背の順で常に前から3番目以内でした。

高校の同級生には、横浜F・マリノスユースに所属していた小野裕二選手がいましたが、高校在学時にJリーグデビューし、多くの試合に出場していたことから、伊東選手は自分との大きな差を痛感していました。

 

 

中堅校の一人の選手という位置づけの伊東選手でしたが、その運命を変える出来事が高校3年生のインターハイ県予選準々決勝の桐光学園戦にありました。

試合自体は1対6の大敗でしたが、その1点は伊東選手がドリブルで3、4人の相手をかわして決めたものでした。

このプレイを桐光学園の選手を見に来ていたスカウトが高く評価し、複数の大学から誘いを受けることになります。

実力があってもその芽が開花しないことがよくありますが、伊東選手は実力と同時に運を持ち合わせていたようです。

 

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伊東純也の大学時代のエピソードについて

伊東選手は、大学に関しても自宅から通うことができるという理由で神奈川大学を選びました。

この頃から関東選抜や全日本大学選抜のメンバーに選ばれるようになり、より高いステージでサッカーをすることができるようになりました。

選抜チームに入ってもレベルの違いにとまどうことなく、自分のプレーをすることができていて、ここでも十分やっていけるな、と感じていたようです。

大学3年生の時には、関東大学サッカー2部リーグで20試合に出場し、17得点という驚異の成績をたたき出し、得点王とベストイレブンを受賞しました。翌年もベストイレブンを受賞し、プロ入りのオファーが届くことになります。

 

 

大学卒業後はヴァンフォーレ甲府に入団し、プロ選手として歩みを始めました。

その後は、柏レイソルへ移籍し、海外リーグへ挑戦していくことになります。伊東選手は決してエリート選手というわけではなく、自分の今の実力を冷静に判断し、コツコツと努力を続けていきました。

その努力が今の日本代表での活躍に結びついています。今回のワールドカップでは得点を奪うことはできませんでしたが、誰よりも走り、献身的な守備をする様子が見受けられました。

それがなければ、日本代表のドイツとスペインからの歴史的な2勝がなかったことは疑いようがありません。

伊東選手のこれからのさらなる活躍を期待したいものです。