日本代表として活躍する酒井宏樹さん。
柏レイソルで活躍した後、海外に渡った実力派ですが、一体どんな家庭で育ったのでしょうか?
今回は酒井宏樹さんの家族構成、父親や母親、兄弟について詳しくご紹介します。
酒井宏樹の家族構成
父親は酒井英樹さんというお名前で職業は医者です。
酒井宏樹さんの名前の「樹」は父の名前にちなんで名付けられたそうですよ。
母親に関しての情報はあまり公開されてはいませんが、医者である父親を陰ながら支えていたことが想像できます。
兄弟は7歳上と5歳上に2人の兄がいます。
酒井さんが物心ついた時には、2人の兄は家庭内でサッカーをしているだけでなく、地元のサッカースクールに通っていました。
酒井さんも週1回、そのスクールで練習するようになり、サッカーに親しんでいきました。
酒井宏樹の父親は勤務医!
酒井さんの父親は千葉県柏市の病院で勤務医をしています。
ファンの間では知れ渡っていることなので、酒井さんは特に隠すことをしていません。
父親が医者というとお金持ちの家庭を想像しがちですが、病院の収入がそのまま給料に直結する開業医と違いますので、生活水準は一般家庭よりは多少高いでしょうが、すごく裕福というわけではなかったようです。
専門の診療科が何かは分かっていませんが、サッカー選手は怪我が付き物ですので、怪我をした時には父親から専門的なアドバイスを受けて、怪我からの復帰が言われていたよりも早まった、ということがありました。
また、海外に移籍すると、酒井さんはタトゥーをいれている選手をたくさん見かけて、タトゥーをいれようかと考えたこともあったそうです。
ただ、両親が嫌いだから、という理由で入れなかったそうです。
タトゥーがあると、例えばMRIの検査を受けようと思っても、検査中にタトゥーをいれたところが熱くなってきてやけどを招いてしまうため、検査をしたくてもできない、ということがあります。
病気の判明が遅れるとサッカー選手としての寿命を縮めたり、生活に支障が出たりすることが考えられるため、酒井さんにとってタトゥーをいれることは全くいいことではありませんでした。
両親のアドバイスをしっかりと受け入れる酒井宏樹さん。
とても良い息子さんですよね。
酒井宏樹の母親は?酒井家の教育方針とは?
酒井さんの母親に関する情報はほとんどありません。
ただ、小さい頃の酒井さんはサッカーになるとボールをひたすら追ってハードワークを厭わない選手でしたが、サッカーのピッチをいったん離れると、大人しい性格で、知らない人が目の前に来ると母親の背中に隠れてしまうような、極端な人見知りだったそうです。
そんな酒井家の教育方針ですが、親としての考えを押し付けずに何でも自分で考えて行動させることでした。
小学6年生の時に、サッカーの大事なカップ戦があって、大会の途中までは出場していたものの、他の合宿が入っていたために離脱せざるを得なくなりました。
しかし、どうしてもカップ戦に出場したかった酒井さんは自身の判断で再合流したいと希望し、周りからの助けもありながら再合流することができました。
酒井さんは、2014年に一般女性と結婚し、2人の子供がいます。自分の幼少時と同じ教育方針で、子供と接していくことでしょう。
酒井宏樹の兄弟の職業は?
酒井さんの2人の兄の職業ははっきり分かっていませんが、片方は研究者をしています。
父親が医者で子供の1人が研究者ですから、かなりのインテリ一家であることは言うまでもありません。
酒井さんは以前に、幼い頃兄弟げんかがあった時に議論することを避けていた、とコメントを残しています。
小さな頃から頭がキレていたために、言葉の勝負では負けてしまうと悟っていたのでしょう。
酒井宏樹と酒井高徳は兄弟?
酒井高徳選手とは、同じ時期に日本代表として活躍していたこともあり、兄弟なのかと言われたこともありました。
日本代表では同じサイドバックのポジションですし、ドイツリーグに所属していた時期も重なるため、ドイツにいた頃は双方ともあの酒井とは兄弟なのか、とチームメートによく聞かれたそうです。
実際のところは、酒井高徳さんは4人兄弟の2番目で、長男は柔道選手、三男と四男はサッカー選手のスポーツ一家です。
本当の兄弟ではありませんが、2人には固い絆がありました。
2014年のブラジルワールドカップの時には2人ともメンバーに選ばれたものの、当時の日本代表には不動のサイドバックの内田篤人さん、長友さんがいて、2人にはほとんど出場機会がありませんでした。
しかし、それに腐ることなく、練習からしっかりやっていこうとお互いに気持ちを高めていたといいます。
同じ苗字で同じポジションの2人が日本代表としてまた同じピッチに立つのか注目したいところです。
酒井宏樹のプロフィール
酒井宏樹さんは、1990年4月12日生まれの31歳で、サッカー日本代表の主に右サイドバックを務める中心選手です。
中学に入学と同時に柏レイソルのユースチームに加入し、トップチームに昇格してレギュラーをつかんでからは、年代別代表、A代表に順調に選出されました。
その活躍が認められてドイツリーグのハノーファーに移籍し、フランスリーグのマルセイユでもレギュラーで活躍しました。
2021年6月には日本の浦和レッズに完全移籍し、9年ぶりのJリーグ復帰が話題になりました。
一番最近では、東京オリンピックにオーバーエージ枠で選出され、5試合に先発出場し、メダルには惜しくも手が届かなかったものの、その活躍ぶりがみられました。
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