日本代表として活躍している上田綺世選手。
そんな上田選手の学生時代の出来事についてご紹介します。
上田綺世の中学時代について
上田選手がサッカーを始めたきっかけは、小学1年生の頃の出来事にありました。
お父さんが社会人チームに所属していて、試合でフォワードとしてハットトリックを達成しました。
チームメートと喜びを爆発させる様子に、上田選手はゴールを決めることでこんなに人を喜ばせることができるのか、と思ったそうです。
そして、地元の吉田ヶ丘スポーツ少年団に所属し、サッカーを始めることになります。
自分が通う学校で練習ができることもあり、サッカーを続けるハードルが低かったことが想像できます。
中学校は、地元の水戸市立第四中学校へ通うことになりました。
この学校は茨城県の公立学校の中で一番生徒数が多い学校で、サッカーにおいて名門校というわけではないようですが、立派な設備があったことが想像できます。
この頃、鹿島アントラーズのジュニアチームである「ノルテ」に所属をしていましたが、サッカーにおいてスランプの時期を迎えます。身体が完全に出来上がっていない時期で、160cmぐらいだった身長が180cmぐらいにまで急激に高くなりました。
身体のバランスが崩れ、自分の思ったようなプレーができなくなりました。
ユースチームへの昇格も見送られ、希望していた高校にも進学することができなくなりました。
ただ、この時の挫折が上田選手を一回りも二回りも成長させるきっかけとなりました。
上田綺世の高校時代について
ユースチームへの昇格を逃した上田選手は、地元の強豪校である鹿島学園に入学します。
1年生の頃はフィジカル面を徹底的に鍛え、2年生になると身体の土台が出来上がり、高校サッカーに適応することができるようになりました。
3年生になると関東で有数のフォワードに成長し、チーム内では不動のエースの座につきました。
これだけを聞けば順調に成長したように思えますが、当初は監督の評価としては調子に波のある選手で使いづらいところもあったようです。
守備をサボることもよくあり、チームメートからは不満の声が出ることもありました。
上田選手は、得点をたくさん取って自分の価値を証明するという強い思いがありました。周りの良さを引き出す良い動きをしても、前線から良い守備をして後ろの選手の負担を減らしたとしても、自分がゴールを決めないと意味がないと言い聞かせていました。
こういう尖った考え方をしていると、所属するチームが違っていたとしたら、チーム内で浮いてしまい、サッカーをすることができなくなっていたかもしれません。
しかし、監督はそれを個性として上田選手を認めました。チームメートに対しても上手くサポートをしてほしい、とお願いをしていました。
自分の信念を貫き通した上田選手は、多くの人の印象に残るゴールを決めます。
それは、高校3年生のインターハイ予選の決勝でのゴールです。相手のコーナーキックのこぼれ球を自陣のペナルティエリアで奪うと、そこから50m余りをドリブル突破し、一人でゴールを決めてしまいました。
本大会では3回戦で敗退してしまいましたが、2回戦では後半のアディショナルタイムに同点ゴールを決める活躍をしました。
監督は欠点があっても我慢して使い続け、それがあったからこそ眠っていた才能が花開いたのでしょう。
上田綺世の大学時代について
ストライカーとして花開いた高校を卒業すると、法政大学へ進学します。
同期の選手にはユースチームの出身者が多く、最初はレベルの違いに戸惑うことになります。
スピード感の違いを特に感じ、それに慣れていかないと試合に出ることはできない、と危機感を感じていました。
1年生の時には「学びと挑戦」というキーワードを自身に課して、努力を怠ることをしませんでした。
そうすると1年生の後期リーグでレギュラーに定着し、2年生の時には全国大会で優勝するチームの輪の中にいました。
3年生の時には、コパ・アメリカという大会で、東京オリンピック世代を中心とした日本代表に、現役の大学生としては9年ぶりに選ばれました。
チャンスを数多く作り出したものの、決定機を決めきることができず、関係者やファンからは物足りなさを指摘する声も上がりました。
本人もパフォーマンスに納得は全くいかなかったでしょうが、いい経験になったことは間違いありません。
その後のユニバーシアードサッカー日本代表で、初戦で2得点を決め、決勝でハットトリックを決めて優勝に貢献したことがそれを証明しています。
また、大学のサッカー部を退部し、大学卒業後に加入することが内定していた鹿島アントラーズに、前倒しで加入することになりました。
サッカー部を退部したものの、大学はしっかりと卒業し、鹿島アントラーズで活躍したのち、2022年7月にベルギー1部リーグのサークル・ブルッヘに移籍し、現在に至ります。
今回のワールドカップでは目立った活躍はできませんでしたが、今後の日本代表では中心選手になっていってほしい存在です。
今後の活躍から目が離せません。
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